冤罪に救われる

1.事件の概要

 平成16年(2004年)3月31日、準強制わいせつ罪の容疑で逮捕される。
私が整体施術中に治療と偽ってわいせつな行為をしたということです。
 無論、私にはそんな気持ちはありません。上の指示通りにまた波動合わせ療法にある治療理論に基づいて施術しただけです。

──上の指示については“波動合わせ”のページを治療理論については“波動合わせ療法”のページをご覧下さい。──

 裁判では一般常識外のことは通用しませんので上の指示とは言えませんでしたが、治療理論に関しては詳しく説明しました。それで裁判官は私の治療理論を否定することが出来なくなり、裁判のために理論武装したのだと理由づけてきました。しかし、治療理論の概ねは既にインターネット上で公開していましたし、その内容は裁判のために考えて出来るようなものではありません。

 この事件でキーポイントとなることは
『私の治療行為がどのようなものであれ、私の内心にわいせつな気持ちがなければ罪にはならない。』と言うことです。罪名に準がついているかついてないかは大きな違いです。
 私の内心は私にしか分かりません。つまり、私が「わいせつな気持ちがあってやりました。」と言わない限り逮捕することは出来ないわけです。

 当初、私は、「治療です。」とはっきりと否認していました。しかし、途中から交替した刑事が取引話を持ちかけてきました。狡猾そうには見えましたが、私が悪者になって丸く治まるならそれでよいと思いました。それで私は取引話に応じる旨のこと伝えました。それで逮捕されることになったわけです。
 一通りの調べが終わり、後に接見に来た弁護士に本当のことを言うと、弁護士は「それではいけないので、真実を述べ無罪を主張して下さい。」と言われました。このとき大変悩みました。初公判の時は、罪状認否で一旦は罪を認めましたが、弁護士が私にいろいろと質問をしてきたときに、思わずわいせつな気持ちではしていませんと言ってしまいました。それで、最終的には無罪を主張することになりました。

 逮捕される二週間前のこと、私は被害者とされる方の治療をしました。
陰部付近を押さえるときは、私はこの方からその都度承諾を得ていたし、何故そこを治療するのかも説明していました。
また、帰る際には次回の予約も取っておられたので、まさかこのようなことになるとは思いもよりませんでした。青天の霹靂でした。
 ところがこの方が帰られてからしばらくして、お父さんから電話がありました。娘にわいせつなことをしたので警察に訴えると言うことでした。私は何度も「話し合えば分かることです。」と言いましたが、お父さんは聞く耳持たずでした。

 お父さんは刑事に知り合いがいると言っていましたのでひょっとしたら本当に訴えるのではないかも知れないと思っていました。でも、私は警察でありのままを話せば分かってもらえるとそのときは思っていました。
 しかし、警察というところは一旦逮捕状を取ってしまうと何としてでも逮捕しないとメンツが立たなくなるところだということを後に知りました。
 それと、娘さんは自分の意思で訴えたのではなく、お父さんに言われて仕方なく訴えたということも後に分かりました。

  長い裁判でした。平成16年6月に一審の裁判が始まってから三審(最高裁)の裁判が終わったのは、平成18年7月でした。
 結果的には有罪となり懲役2年4ヶ月の刑が確定しました。未決通算(刑が確定するまで収監されている場合、その期間の一部を刑期とみなすこと。)が1年4ヶ月(拘束期間は2年)ありましたので実際の刑期は1年となりました。
 7月に刑は確定しましたが刑務所が一杯なので、実際に刑務所に移されたのは平成18年9月でした。
 平成18年の5月に刑法が変わり、それまでならすぐに初犯刑務所(滋賀刑務所)に入るのですが、性犯罪に関しては一旦大阪刑務所のセンターと呼ばれるところへ移送され、ここでどの刑務所に移すか決めるための面接と訓練を受けることになりました。
 私にはカリウム欠乏症という病気があってここで大変辛い思いをすることとなりました。カリウムは野菜や果物に多く含まれていますので普通ならそれを多く摂取していれば問題ないのですが、拘置所や刑務所の食事はカロリーは足ってはいるが副食が少なく私の体には大きなダメージとなりました。
 拘置所ではほとんど体を動かすことはなかったのでカリウム欠乏症の症状はそう気にならなかったですが、刑務所では筋力体力の低下、記憶力集中力の低下、それと目の疲労が著しく、大変辛い思いをしました。
 でも、ここで辛酸を舐めたことは私の精神力を増大し確固たるものにするには非常に大切なこととなりました。カリウム欠乏症は私にとって良いハンデとなりました。
 訓練は一ヶ月で終わりしばらくの間は個室での軽作業だけでしたので体は小康状態となりました。 しかし、12月に滋賀刑務所に移され再び私にとっては過酷な毎日となりました。作業そのものは内職のような軽作業ですが、目を使うことが多く私の体にとっては大変な負担となりました。
 でも、これも精神力を高めるには大変有意義なものとなりました。肉体には大きな負担となりましたが、それに耐えることにより何事にも屈しない自分とさせてもらえました。これで本当の意味で人々のために生きていくことが出来ます。冤罪ではありますが刑務所に入るべくして入ったと言うことです。

――自分の書いた筋書きだと言うことです。
    つまりどんな辛いことも自分が課したものだということです。――
     (筋書きについては“波動合わせ”のページをご覧下さい。)

 また、逮捕されてから3年という期間は過去をリセットするには必要不可欠の期間でした。この期間は逮捕されるまでに負荷となっていた苦労をすべてなくしてしまいました。
 それまでは臥薪嘗胆(がしんしょうたん:目的を達するため苦労を重ねること。)、 どんな苦労にも耐える気持ちで生きてきました。こうすれば楽になると言うことが分かっていてもわざと苦を選んで生きてきました。が、今ここに安心立命(心を安らかに保ち、どんなことにも心を乱されないこと。)の境地に差し掛かろうすることが出来、今までの苦労がすべて報われることとなりました。 そして何よりもPart4[心]の原稿を書き上げるのに十分な時間を頂くことが出来ました。

       ──『冤罪に救われた。』と言うことです。──

 今回の事件で多くの方々に大変なご迷惑ご心配をお掛けしましたことを深くお詫びいたします。これからはそれ以上に人々のために尽くさせていただきます。それが私がこの世に生まれてきた役目です。難しく言えば和光同塵です。和光同塵の本当の意味は、Part4[心]をお読み下さい。

 また、私を弁護して下さった弁護士はもちろん、私を有罪としていただいた被害者、警察官、検事、裁判官にも感謝いたします。
 その理由は、波動合わせの“生きる基本”のページに記しています。
“生きる基本”のページの内容は、控訴審のときに証拠として裁判所に提出しました。


2.逮捕されてから判決までの経緯

 逮捕の当日(2004.3.31)、朝八時頃、警察官三人が家に来ました。
玄関のドアを開けたところで長浜署まで一緒に来てくれと言われました。
 警察署へ着くとすぐに取調室に入れられ、最初は二人の刑事が私を調べました。
私は「治療です。」とはっきり言いましたので二人の刑事は「困ったな、弱ったな」という感じで、それ以上調べは進みませんでした。
 しばらくしてKという刑事が入ってきて俺がやると言った感じで調べを交替し二人の警察官を取調室から追い出しました。
 K刑事は先ほどの二人の刑事とは違い、口調はきつかったです。
でも、私は先ほどと同じように「治療です。」と言いました。K刑事は私に対していろいろと言ってきました。脅迫じみたようなことも言ってきました。それでも私は「治療です。」と言い続けていました。K刑事はこのままではらちがあかないと見えて最後に取引話のようなことを持ちかけてきました。
 両手を組みジェスチャーを交えながらK刑事から見て右の方へ手を出し「おまえの言うとおりにしたら悪い方向へ行く、(次に左の方へ手を出しながら)わしの言うとおりにしたらうまく行く」と言ってきました。
 K刑事は狡猾(こうかつ:悪賢いこと)そうに見えたので、私は念のため「それは私のために言って下さるのですね。」と尋ねたところ、K刑事は「そうだ。」と答えたので私はその取引話に応じることにしました。
 本当は、ここで私が否認し続けたら逮捕出来なくなるかも知れないのでこの取引話を持ちかけてきたことが後で分かりました。また、たとえ逮捕しても起訴できなかったと思います。
 取調室を出るときK刑事は私に「このことは他のものに言うな。」と言いました。

 私の方からは、「わいせつな気持ちでやりました。」とは、その時もその後も一切言っていません。従ってK刑事の書いた調書には私が話したことはほとんどなく、私の調書はK刑事が創作したものとなりました。
 K刑事は被害者の調書を見ながら私の調書を作成しました。しかし、被害者の調書が事実と異なるものだったため、当然私の調書も事実と異なるものとなりました。
 被害者の調書は別の刑事が作成しています。私が否認したことにより、被害者の供述通りに調書が書かれていないことが発覚しました。その後、この刑事とK刑事は別の署に異動しました。
 このように警察官の不正は当然のごとくされているということが分かりました。
K刑事自身も「警察は黒いカラスでも白くしてしまうようなところだ。」と言っていました。また、わしはこの歳(30歳後半に見えます。)で社会の裏を見てしまったと嘆くように言っていました。

  ──ならば自分だけでも不正をしなければよいと思うのですが。──

 K刑事の調べが終わり検事調べになったとき、検事は私の調書を書きながら「このように十分反省した内容にしておきますのでこちらの言うとおりにして下さい。」と言ってきたので、その時は検事には本当のことが分かってもらえたと思いました。しかし、後の余罪の検事調べで、本当はそうではなく否認されると起訴できないので検事はそう言ったのだということが分かりました。

 一回目の検事調べの後、余罪調べの刑事から最初に「一番軽い刑(執行猶予のこと)にするから警察の言うとおりにしてくれ。」と言われました。これで執行猶予で出られると思いました。また、この調べの前に刑事課に入ったとき、そこにいた刑事全員がニコニコして私の方を見ていたのが何故かも分かりました。この調べの前に検事から私を執行猶予にするという連絡が入っていたと思われます。
 私が警察署から拘置所に移送されるとき、護送に当たった刑事から次のようなことを言われこのことはハッキリしました。
「おまえは執行猶予だから、拘置所を出たらすぐにわしを治療してほしい。」と、
何度も言われました。このとき私は否認することを決意していたので話を合わすのに一苦労しました。
 調べが一段落し、しばらくしてからK刑事から呼び出されたことがあります。何の調べかなと思っていたら「わしを治療してほしい」と言われました。自分の力が役に立つならばと、こころよく引き受けました。留置場の中でも警察官や収監されている方を治療しました。
 K刑事は私の治療効果に驚いていました。また、フーチセンサを動かしたり筋肉反射テストもしましたのでさらに驚いていました。治療効果については、護送に当たった刑事はK刑事から聞いたと言っていました。
(フーチセンサ、筋肉反射テストについては“波動合わせ”もしくは“波動合わせ療法”のページをご覧下さい。)

 余罪の調べにおいても警察の言うとおりに調書を取られましたので、この調書もまったく警察官が創作したものになりました。もし、私の言ったとおりに調書が書かれていたならば必ず私が何故そのような治療をするのかを理論立てて言っているはずです。
 裁判でこの警察官が証人に立ったとき、弁護士は治療理論について質問をしましたが、この警察官は返答できなくて嘘をついていることか分かってしまいました。
 また、K刑事が証人に立ったときも、同じように私の治療理論について返答することが出来ませんでした。特に、K刑事が書いた調書には私が証拠として提出したカイロプラクティックの本とはまったく異なることが書かれていたため、調書が創作されたものであることは明白でした。
 この本には、陰部付近に反射点と呼ばれる治療ポイントがあることがハッキリ書かれています。

 K刑事の調べの時、他にこのような治療をしたものはいないかと尋ねられたので、私は取調室でパソコンの画面を見ながら何人か名前をあげました。
(データーは治療室のパソコンからコピーしてありました。)
 このとき私は、まさかその中から私を訴えるような人はいないと思っていました。私は患者さんを信じていましたし患者さんも私を信じていたと思っていました。が、一人だけ警察の誘いに載ってしまい私を訴えざるをえなくなるようにされてしまいました。被害者に仕立て上げられたと言うことです。
 最初に私を訴えた被害者の調書が事実と異なったように、この被害者とされてしまった方の調書も事実と異なるものでした。
 裁判では被告人が否認すると被害者は証人として立たなければいけません。しかし、被害者は自分の調書に署名捺印していますので、それが事実と異なっていたとしてもその通りに証言しなければいけません。嘘は必ず矛盾するところが出てきます。
 この二人の被害者の証言も矛盾するところがあからさまとなり嘘であることが明白でした。裁判で嘘の証言をしなければならなかった被害者はさぞ辛かったと思います。それも自分が課した運命ですが。

 四月の異動で裁判官が交替するまでは、弁護士は無罪であるのは間違いないようなことを言っていました。しかし、裁判官が交替してからは様子が変わりました。弁護士は、判決が出るまでにその結果は知っていたようで、有罪であることを示唆していました。裁判官が交替していなかったら一審で無罪だったと思います。
 交替した裁判官は至って検事よりであることは見て取れました。
裁判中に検事と内緒話をすることもありました。
 交替した裁判官は、私が検事から尋問を受けたとき、検事が「調書に署名指印したのはあなたですね。」と言ったことに対し、私は「はい、間違いありません。」と答えたことを「調書の内容に間違いありません。」と勘違いしていました。
 最後の判決(平成17年10月)の時に私はそれに気づき、そうでない旨のことを言いました。すると、裁判官は急に顔色を変え「控訴したらどうなるか分からないので控訴して下さい。」言いました。

 結果、控訴することとなり平成17年10月に大阪拘置所に移送されました。
控訴審(二審)では、事件について赤裸々に語った文章(便せん100枚余り)を証拠として提出しました。検事はそれについて何も反論することはなく認めていました。
 でも、裁判官は控訴棄却の判決を言い渡しました。
両側の裁判官は私から目をそらし裁判の最初から最後まで私を見ようとしませんでした。また、裁判官の一人は退官(判決を棄権する。)していました。検事も私を見ようとしませんでした。私を無罪にすると大変なことになります。そうせざるを得なかったのだと思います。仕方ありません。この事件の場合、一審の裁判官は一人です。二審の裁判官は三人となります。真ん中の裁判官が裁判長となります。裁判長は嫌でも私と話をしなければいけませんので目をそらすことは出来ません。何を言ってるのか聞き取れない早口で判決文を一気に読み上げました。

 最高裁(三審)に上告しましたが、ほとんど理由なく棄却となりました。
(上告は書類審査だけですので裁判はありません。)
しかし、上告までしていますので再審請求することは出来ます。
被害者の方が本当のことを言って下されば無罪となるはずです。
 このままでは被害者の方は嘘をついたまま一生を終わることになります。
そうならないようにしてあげなければいけません。来世に大きく関係してきます。
 また、正義に反することをこのままにしておくことも出来ません。
私憤はあってはならないですが、義憤公憤をもってこのことに対処しなければいけません。自分のためでにはなく相手のためにです。

追記
拘置所、刑務所では、いろいろな人間模様を凝縮して見ることができました。閉ざされた自由のない世界で、愛に飢えた者同士が生きて行くさまを見させて頂くことができました。私自身も言葉の暴力いわゆるいじめに会い、カリウム欠乏症による肉体的な辛さに加え精神的な辛さも味わさせて頂きました。「艱難汝を玉にす。」良い苦労となりました。

カリウム欠乏症とありますが、後々、東大阪の病院で線維筋痛症と診断されました。詳しくは、ブログ”線維筋痛症(1)””線維筋痛症(2)”をお読みください。