Part2[オーラ]

人体のオーラ

このPartは次の本を参考にしていますが、今は絶版となっています。

「あなたにもオーラが見える」著者:柳川昌弘 発行所:KKベストセラーズ

 絶版となっていることを残念だとは思わないで下さい。好奇心という欲望があるとオーラをみたいと思いますが、この本の通り訓練したからと言って誰にでもオーラが見えるわけでありません。オーラが見えたとしてもそのことが役に立たなければ何の意味もありません。また役に立てようと思うとかなりの負担がかかります。オーラを見ることはそれなりの覚悟とそれに耐える心が必要です。

(1)
 どんな物質でもその物質特有の波動が出ていることはPart1で述べたとおりです。その波動はハンドスキャンのように手や体で感じることも出来ますが、当然目で見ることも出来るわけです。波動を目で見ればオーラになります。オーラの具体的な見方は「Part4[心]に解説してあります。見えたとしてもハッキリと色を確認できる人は少ないです。目で見て何かあるなと言う感じでも見たことにはなります。オーラは蛍光色ですので蛍光色に敏感な人は見やすいと思います。衣類などを蛍光剤で処理しているものを太陽光の入る部屋で見たときに白いものが青く見える人は見やすいと思います。ハッキリ見えなくてもそう気にすることはありません。フーチセンサが動かせる人と動かせない人がいるのと同じです。それよりも、そういう能力が正しく使われるかどうかの方が大切です。そのような能力を自慢することや、自己の利益に使おうとしている人のほうが問題です。またオーラが見えれば見えるで色々と苦労が増えるものです。
 オーラを電磁波としてとらえコンピュータで解析して誰にでもオーラが見えるようにした装置があります。しかし実際のオーラはこのようには見えません。これはあくまでも人体から出る電磁波を解析したものです。ただこの装置によって見える色の意味するものはオーラを見る目的が何であるかによっては正しいものとなります。オーラを見る目的によって、その色は違ってきますのでこれを全てだと思わないで下さい。

(2)
 私が今の世の中に疑問を抱き何かしなければいけないと思い始めたのは平成元年の前の年からです。そう思い始めたときに、「あなたにもオーラが見える」という本に出会いました。私の場合は、この本に書いてある通りに訓練したらすぐにオーラは見えるようになりました。この本にはフーチセンサのことについても書かれています。私がフーチセンサのことを知ったのもこの本からです。オーラが見えるようになったのも嬉しかったですが自分の手に持ったフーチセンサが回ったのは、もっと嬉しかったです。
 私にとってフーチセンサは上とのテレパシーがうまく通じないときの大事な大事な交信道具です。この本には磁石を絹糸で吊るしたものをフーチセンサとして使っていますが、手で持てて振り子になるものであればなんでもよいです。磁石は回しやすいというだけです。箒や椅子も回りますし、重いものでも手で持てさえすれば回ります。小さな子供の子でも手にぶらさがれるならば回ります。振り子を逆にしたやじろべえでも回ります。 
 ハッキリとオーラを見ることが出来る人が少ないようにフーチセンを回せる人も少ないと思います。フーチセンサを正しい目的で使うならばよいですが、自己の利益のために使おうとすることや、興味本位で使うことはしないで下さい。これは本当に大事な道具です。それを使う必要がない人には、回せないようになっています。

(3)
 オーラの見方、見え方は「あなたにもオーラが見える」の本に書いてある通りです。今は絶版となっていますので、私が少し解説しておきます。
 オーラの見え方はその人の能力や役割など色々な意味合いによって、同じ物を見ていても見る人によっては見え方が変わってきます。私が人を見た場合の見え方について述べておきます。
 人のオーラを見ると三層構造になっているのが分かります。一層目のオーラは人体を作り出すオーラですので、その人の輪郭に沿って薄く、普通1~3ミリ、最大でも2~3センチの範囲までです。私が治療するときに出すオーラは、ほとんどこのオーラを利用しています。特に手からは強く出すことができ指先からのオーラは今の私のパワーで極短時間ならば最大10センチぐらいまでは出すことができます。これで奥深い内臓にまで私の波動を入れることができます。 悪いものが表面に出ている人は、ほとんどパワーはいりませんので撫でるか手か指を当てているだけで治療ができます。
 波動で治療するには三つの方法がありますが(Part1[ハンドスキャン]の(3)を参照)中和しているときは撫でているだけですごく痛がる人がいます。これは悪いものが表面に出ている人です。その人の不摂生や心の持ち方が悪くて悪くなっている場合は、耐えがたい痛みになります。精神的なものほどピリピリした痛みになります。
 二層目のオーラはその人の心のオーラです。10センチから40センチぐらいの範囲で見ることができます。この範囲は心の強弱によって刻々と変化します。一定のものではありません。当然病気などで衰弱している人は範囲が小さいです。目で見なくてもハンドスキャンでその範囲に手のひらを近づけると、第二層のオーラを感じとることができます。フーチセンサでも確認することができます。フーチセンサがその範囲に入ると回るように命じておくとフーチセンサがそのオーラを感知したときは回り出します。私自身は目でもハンドスキャンでもオーラを確認できますが、それをその人に確認してもらいたいときには、この方法を使います。
 このオーラは心のオーラですのでその範囲にまで近づくとその人の心持ちが伝わってきます。心持ちがわからないとその人を良くすることは出来ません。その人の心持ちを良くするためには必要なことです。自分の心持ちが相手に伝わることを怖がる人がいますが、自分を良くしてもらえるのだったらいくらでも伝えたいという気持ちになるのが本当です。相手に自分の本当の心をわかってもらえるならば怖いどころかありがたく感じます。それと自分を良くし相手も良くしようという気持ちがある者しか、このような能力は備わりません。だから、そのような人には安心して自分の心を伝えることが出来ます。その人の心持ちがわかることによって、色々とアドバイスをしてあげることができます。またその人の悪い心持ちも取ることによってその人の心を良くすることができます。その場合、こちらの心持ちが一時的にその人の心持ちになります。急にイライラしてきたり、腹立たしくなってきたり、悲しくなって来たり、欲張りになって来たり、性欲が湧いて来たりと色々と自分の心が変化します。

(4)
 性欲が湧いて来ると言うと誤解を招くかも知れませんが、女性の場合は、そのレベル、発している場所や質などがわかるだけですが、男性の場合は実際にセックスをしたいというイメージが頭の中に出てきます。
 性欲の気の流れも体の気の流れの一部です。生殖腺の気の流れと同じように出てきます。性欲が溜まってくると生殖腺の気の流れが崩れ体の不調となります。特にホルモンバランスの崩れや自律神経失調症などの症状が出てきます。更年期障害のひどい方は性欲が強い方かうまくはけてない方です。更年期障害のひどい方やひどかった方を治療していると60才や70才の方でも強い性欲を感じます。
 自分を強くし何かを悟るための禁欲はよいですが、嫌らしいもの、いけないものと思う禁欲はしないほうがよいです。一人でも複数でも同姓でもうまくやればよいと思います。愛の表現と一致するのが一番良いのですが、今の世の中、そういう相手となかなかめぐり合うことは出来ません。
 日本の法律では、わいせつ画像は禁じられています。もともと、人間の体というのは美しく魅力あるものに作られたものですから、裸を否定することは人間としての魅力を否定するものです。(かといってこの法律が無いともっと混乱すると思いますが)
 インターネットの普及により、色々な画像を手に入れることができるようになりましたので、このようなものを利用してもよいと思います。画像や写真というものは自分の波動をそれに転写することが出来ます。昔から写真を撮られると魂を抜かれると言いますが確かにその通りです。心までは抜かれませんが自分の気はその写真を見た人に移ります。でも移ったほうがよい気もありますので、撮られたり見たりして波動を中和することもよいことです。画像を見て性欲が中和できるならばそれでよいと思います。注意してほしいのは、今のセックスは愛の表現、もしくは気のバランスを整えるにとどまらず、セックスだけが一人歩きしているところがあります。性欲も食欲と同じです。おいしいからと言って好きなものを好きなだけ食べていると健康を害するのと一緒で、セックスは自由ですが度を越したセックスは健康を害することがあり、また色々なトラブルを招きます。私利私欲のセックスは慎まなければいけません。相手のため、自分の健康を守るための範囲にとどめて下さい。
 でも、性欲の強い人は辛いと思います。相手のない方やあっても結婚してマンネリ化してくる30代ぐらいからは欲求不満の人が多いです。いつも同じ相手であっても、その質やレベルそして心の持ち方が変化しないかぎり、いつまでもその人と変わらぬセックスをすることはできますが、そういう人たちはかえって少ないです。最初はよくてもお互いのセックスのレベルや質の変化により飽きが来ます。また、セックスのレベルが極端に違う場合や自分だけが満足するようなセックスをしていても相手は欲求不満となり違う相手を求める結果となります。違う相手を求めることが正しいかどうかは難しい判断です。正しい意味でのセックスであるならば、たとえ不倫であってもそのときは誰の心も傷つかずうまくいきます。

(5)
 手かざしという治療方法がありますが、これは二層目のオーラをコントロールする方法です。私も時々使いますが、この手かざしによる治療は原理を本当に知って使わないと、とんでもない結果になります。本当に人を治すにはその人に触れてあげることです。
 二層目のオーラまで近づくことができないときは、ハンドスキャンでレーダーのように、こちらから波動を出し跳ね返ってくる波動を読んで心持ちを探る場合もあります。これは目でも出来ます。目から出るオーラは自分が見える範囲まで届きます。ただし視力と一緒で遠くのものはぼけます。目は口ほどにものを言うとは、まさしくその通りです。
 心は脳の視床下部に位置しますので目と目とを合わすとこちらのオーラで相手の心が染まってしまい本当の心を探ることが出来なくなるので、わざと目をそらすときがあります。逆にしつこく相手の目を見るときもあります。相手に直接触れてもこちらのオーラで染まってしまうときがあります。治療中に患者さんのオーラを見ていると自分のオーラの色になっていることがあります。
 三層目のオーラはその人の肉体から離れていくオーラです。見えたり見えなかったりします。見えても瞬時に変動したり消えたりします。人前で熱弁している人の三層目のオーラは激しく変化しています。このオーラは肉体から離れますので、その人が部屋から立ち去っても、その人の気配が残ります。今まで誰かが居た感じがするというのはそういう時です。また影から誰かに見られているとき、その人の目から出るオーラが強いと姿は見えなくても、誰かに見られているような気配を感じます。

(6)
 最初はオーラを見ることに欲がありましたので何でもかんでもオーラを無理に見ようとしましたのですごく目が疲れました。欲望で見てはならないです。相手のために見ることです。今は特に見ようと思わなくてもいつもオーラを見ている感じです。透明なガラスでもそこにガラスがあるということがわかるように、色がついてなくてもオーラは見えます。大事なときはハッキリと色がついて見えますので、必要としない限りは無理には見ません。オーラの色の意味するものは「あなたにもオーラが見える」本にに書いてある通りですが、すべてがそうではありません。その人の何を見るかによってオーラの色は変わってきますので、今この色のオーラが見えたから、この人はこうだとは言うことはできません。自分のオーラが反射して、あるいは伝わって見えているときもあります。
 私が人のオーラを見るときは健康状態を常に頭においていますので、普通はその人の肉体の気の流れ(経絡)を見ています。気の流れが悪いところは黒く見えたり落ち込んで見えたりします。時には墨を流したようなオーラが漂っているときもあります。
 ちなみに腹黒い人の心のオーラはやはり黒いです。黒と言っても真っ黒でなくわずかに灰色がかっています。煙っているような感じです。このようなオーラを放つ人は要注意です。何か悪いことをたくらんでいると思います。どんな場合にしろ煙ったようなオーラは悪いものを意味します。この地球では綺麗なオーラを放っている人は少ないです。赤・黄・緑などのオーラを発している人は多いですが見えてもほとんど灰色か黒っぽいオーラがほとんどです。
 その人がこの宇宙に生まれてきた役割分担を意味するオーラは何十秒かじっと見ていないと見えてきません。その場合のオーラは澄んだ色になります。1色だけではなく上半身が黄色で下半身が緑とか2色の場合もあります。本来、人のオーラは1色なのですがこれが2色以上に見えると言うことは、何か深いわけがあります。

(7)
 波動を感じたり見たりすることは、おもしろいように思えますが、この地球上では、かえって辛いことです。私にとってオーラを見るということは、そのものを吸収捕獲していることになります。この地球上では綺麗なオーラを放っている人はまずいません。私がその人のオーラを見るときは、その人の悪いものを取っていることが多いです。汚れたオーラを取るのですからダメージを受けます。大勢の人を見るとそれだけで疲れてしまう場合もあります。今(2009年)の私の力は、まだまだ弱いので、満員電車のように、たくさんの人を見るうえに、体が触れて人の気を肌で直接感じ取るようなところではへとへとになってしまいます。それともっと厄介なことがありました。 私がオーラを見るようになってから一部の人にしか見えないものまで見えるようになってきました。それは俗に言う霊です。先ほど捕獲と書きましたが私が霊を見たときは必ずそれを私の体に入れています。私が捕獲する霊は心に問題があって上に行けない霊です。つまり成仏できない霊です。この霊を上にあげるにはまず、その霊が持っている悪い心を取り除かなければなりません。悪い心といっても霊によってさまざまです。憎しみ恨みを強く抱く霊、人が怖がるのを喜ぶ霊、悪ふざけばかりしている霊、人にとりついてはその人を不幸に落し入れる霊、その人を不幸に落し入れるだけでなく、とりついた人を操作して他人に危害を加える霊、悪さはしないがこの世に未練が残りあの世へ行けない霊、人のためにはなってはいるが自分の好きな人しか守ろうとしない霊・・・。さまざまです。このような心を取り除いてから上へあげるわけですからその間は大変辛いものがありました。
 治療中にその人の悪い心をもらっているときは、その人と同じ心持ちになるということは先ほど述べました。この場合は一時的なものですが、霊の心持ちを処理するときはその処理を終えるまで続きますので大変辛いときがありました。パワーの強い霊を取った夜は、ほとんどうなされたり、なんとも言えない苦しみが夜中に襲ってくることもありました。肉体的な苦痛と共に、生きているのが嫌になるほどの不安感や落ち込みなどの精神的な苦しみも入ってきました。でも、心が強くなっていくと同時にこのような苦しみも徐々に薄らいできました。
 このような苦痛の対処方法としては、苦しみに浸かって溺れてしまわないことです。もがけばもがくほど苦しくなります。冷静に自分の状態を把握してください。それと避けないことです。嫌なものは嫌ですが避けようとすればよけいに苦しくなります。これは「耐えるもの」と割り切ってください。苦しみに負けずに耐えていればその苦しみは必ずなくなってきます。逃げないことです。病気の人であるならば、その病気に打ち勝とうする強い信念を持ってください。苦しみによっては長く続くものもあります。私の場合でも10年以上続いていた苦しみもありました。だけど、どんなに嫌なこともプラスに考えてください。そうすればその苦しみはすべて自分の心が成長する糧となり、人のためにもなっていきます。最後には苦しみがあってよかったというときが来ます。とにかく辛抱あるのみです。負けたら終わりです。(と言っている私も悲鳴をあげているときもありましたが。) 私の場合は霊が入ってきてそれが悪さをしていると言うことがわかるからまだましなほうかもしれません。霊にとりつかれて不運な目に合っている人は一杯います。だけど、自分を良くしようとする心を持てば霊は居づらくなります。私のように霊を取っては上へあげる役をしている人は別として、自分を良くしようとする心が強くなれば、あなたは霊にとりつかれることはなくなります。取りついていた霊も出て行きます。あなたの悪い心持ちが霊をおびき寄せているのです。霊が悪いわけではありません。

(8)
 霊によってその見え方はさまざまです。きちんと人間の姿をしたもの(同じ姿勢をとっているものがほとんどですが、希に街の中を歩いている霊もあります)、足のない幽霊(足が無いと言うよりは足までしっかりと姿を現すことが出来ない)、白くボーッとしたお化けのようなもの(これが一番ゾクッとします)、鬼火を放つ霊、妖怪などのような化け物(気持ち悪いものが多いです。私が最初に見たのは全身しわくちゃの妖怪でした。滑稽なものもいます)、般若(恐ろしく怖い顔です。般若の面がありますが本物はあれぐらいではありません)のように顔だけのもの、姿は形作れないが何らかのオーラを放っている霊など色々です。顔はあっても目、口、鼻がないのっぺらぼう(自分の顔に不満があるなどのコンプレックスで顔を表現できない)も結構多いです。
 霊を見るようになって一番驚いたことは、その数の多さです。人の数と同じぐらいいるのではないかと思われるほど多いです。それと人の霊だけではありません。動物の霊もたくさんいます。犬や猫など人間に飼われる動物の霊は多いです。一度猫の霊をハッキリ見たことがあります。5~6メートル先を猫が歩いていたのですが、突然消えてしまいました。今のは何だったのか思うような出来事でした。
 主(ぬし)と呼ばれる霊は自然界の動物が多いです。
 姿形が作れる霊でもいつもその姿を現しているわけではありません。自分をアピールしたいときだけ現れます。誰にでも見える波動で姿を現してくる霊もあります。ただし、この時間が瞬間ですと脳には映像の記憶として残りませんので「何か居た。」という感じだけになります。1/100秒のような瞬間であってもそのときにカメラのシャッターを押していれば後から現像したときに写真に写る結果になります。これが俗に言う心霊写真です。カメラの精度や設定によっても写り方は変化すると思います。乱反射などで近くにあるものが写りこんでいる場合もありますのでそのようなものがすべて心霊写真だと思いこまないで下さい。

(9)
 霊から人間に対しては物質的には、なにも関与することは出来ません。ただ、人間で言えば超能力を持ったような霊は、物質に対して何らかの力を加えることが出来ます。茶碗を飛ばすような霊がいても不思議ではありません。普通の霊は物質に対して何も関与できないわけですから目の前に自分の欲しいもの、食べたいものがあってもどうすることも出来ません。この場合は人の体に乗り移るしかありません。乗り移った人の体を借りてこの世の物質を感じています。悪さをしない霊であっても何らかの欠陥を持っていますので、そのような霊が入ってくるとその人の体調は崩れてきます。逆にその人を守るために入っている霊もありますがこのような霊も救わなければなりません。霊が入っている患者さんは、その霊を取り除かないことにはよくなっていきません。新興宗教などで除霊すれば病気が治ると言いますが、あながち嘘ではありません。
 今の私は霊能力者のように霊の代弁をすることや、心霊写真を解説する役でありません。それは別の方々におまかせします。
 色々な霊が見えるようになったと言いましたが、今は直接に姿をとらえて霊を見ることは少ないです。私が霊を見るときは、普通にはその心の位置を点で見ます。この方法だと姿を現さない霊も存在を確認することが出来ます。心は物質ではありません。大きさもありません。大きさのないものは点としか見ることは出来ません。そして、そのレベルによって点の大きさを変えて見るようになっています。大きなパワーを持った霊は大きな点に見えます。大きなと言っても2~3ミリぐらいです。それ以上に、大きく見えるのはオーラを放っているときです。小さな霊ですと虫と区別しにくいですがよく見るとただの丸い点です。霊が体から出てくるときも点で見えます。気づかない間に出てきて飛んでいる場合もあります。以前は、見たらすぐに、目から自分の体に入れていました。取ろうとしなくても知らない間に背後から入ってくる霊もありました。取った霊は私の心のすぐそばにしばらくの間おいておき、不要な心がなくなった時点で上にあげていました。この処理をしている間にこわれてしまう霊もありました。いたしかたありません。心として存在できるならば、次にたとえ動物や植物に生まれ変わっても幸せを感じて生きることは出来ますが、こわれてしまったのでは何も出来なくなります。今、この世で生きる私達も自制なく欲のまま生きていたり、漠然と生きていると次に人間以外のものにも生まれ変わることも出来なくなります。とにかく自分を良くすることに努めることです。また、霊に対して恐怖感や嫌悪感や憎悪感を持たないようにしてください。どんな霊(心)であってもそうなろうとして生まれてきたわけではありません。迷わず成仏するように祈ってあげてください。日本人ならば「南無阿弥陀仏」と念じることは有効です。他の宗教を信じておられる方はその宗教の念じ方でよいです。
 心のレベルが上がれば、何も唱えなくても霊をコントロールすることができるようになります。宗教に頼ることもなくなります。
 私の場合、霊を自由にコントロールすることはできますが、たとえその霊が悪霊であってもその人に必要な場合は、無理に成仏させることはありません。悪霊も大事な筋書きの一員です。

(10)
 すべてが悪い霊ばかりではありません。すべてを見渡してその人を正しい方向へ導いている霊もあります。守護霊、背後霊と呼ばれるものがこれにあたります。守護霊は上にいますので見ることは出来ません。(降りてくれば別ですが)  普通、背後霊は その人の後ろについていますので時々見たり感じたりすることがあります。動物についているときもあります。このような霊は心の綺麗な澄んだ霊ですので見ても向こうから入ってこない限り、自分に入れることはありません。
 守護霊はすべての人についていますが背後霊はついている人といない人があります。守護霊も背後霊も交替することもあります。また複数である場合もあります。
 守護霊、背後霊とはいったい何なのかは、次のPart.3[テレパシー]のところで詳しく述べます。ここでは霊の定義をハッキリしておきます。人間を例にして述べますと、心が肉体を持ったものが人間であり、その肉体から心だけ抜け出せば霊です。言いかえれば心だけのときを霊と呼び、肉体を持っていれば人間です。人間の状態であろうが霊であろうが本質は心です。浮遊する霊であっても肉体を持てば人間になります。
 地球人が赤ちゃんとして生まれるときは母親の体内にいるときに心が入ってきます。入ってこなかったら流産か死産です。(これは地球人にかぎっての生まれ方です。宇宙人は色々な生まれ方をします。)寿命が尽き、死ぬときは肉体から心は離れます。どんな心が入っているかによって違いますが、自分で上にあがれる心とあげてもらわないとだめな心があります。あがるのを拒否すればこの世を浮遊するしかありません。肉体は死んでも心は死ぬことはありませんので死を恐れることはまったくありません。

(11)
 霊が悪さをする例として解離性障害(多重人格)があります。今の学説では解離性障害は幼い時のトラウマが原因で別の人格を作り出すというように言われていますが、トラウマを持つような心ほど霊がとりつきやすい心です。私でも強い霊が入ってくると性格が変わりそうになったときがありました。
 自分以上に強い霊が入ってくると人格が変わってしまう人がいます。それが多重人格です。この場合は霊を抜くか、入っている霊がすべて一つの心として動き出せば人格は一つに収まります。時間をかけて一つの人格に融合していけば良いと思います。
 このことでわかるように一つの肉体に一つの心しか入れないわけではありません。無限に入ることが出来ます。地球人の場合は、必ず複数の心が入っていますので、その心が分離して解離性障害を引き起こす場合もあります。また、複数の心の統合が取れていないといわゆる統合失調症になってしまいます。

(12)
 オーラの色と相性の関係をお話します。
 恋愛のパートナーは、お互いが補色同士であることです。
補色とは、色相環で、対抗位置にある色。また、ある色をしばらく見つめた後、白い紙に目を移動させた場合に残像として現れる色を言います。《人体のオーラ》の裏参照

 お互いの心を補うようにオーラを出し合いますので、常に穏やかな落ち着いた雰囲気となります。と言っても、オーラを見ることの出来る人はほとんどいませんので、逆に考えるとわかりやすいです。
 その人と一緒にいると、心が落ち着き穏やかになることが出来れば、補色同士だと思ってください。その反対に、気が合うとめちゃめちゃ気が合うが、反発すると大喧嘩にもなってしまう場合は、同色だと思ってください。熱しやすいが、冷めやすい恋です。一緒になるより、恋人どうしで過ごしたほうがよいです。仕事のパートナーであれば同色がよいです。補色でもない同色でもない色だと、無難な恋が出来ます。恋愛と言うよりは、人間愛で共に過ごすことになります。

 恋愛感は、なくなっても、人間愛があれば一緒に生きていくことは出来ます。
と言うより、人間愛がわからないと本当の恋愛感はわかりません。いたわりや優しさは、恋愛感ではありません。人間愛です。あって当然のものです。勘違いしないでください。オーラの色が合っていても心の本質や構造的なものが違うと、また、そのレベルが違うと、一時的に合ってもいずれは合わなくなります。

 恋愛のパートナーと一つ屋根の下で暮らすパートナーが同じになることがあります。
この場合は、オーラの色は同色となります。この場合の同色という意味は、志しを同じにするには違いないですが、片方が片方に従うという意味で同色という意味になります。妻は夫に従うという聖書の教えの通りです。但し、この関係は逆転しても構いません。

 と言っても、この世は修業の場、片方が片方に従っていれば、悲惨な目に遭うこともあります。そこは臨機応変に対処して下さい。理想的には、まずは確固たる人間愛を築くことです。そうなれば、仲睦まじい夫婦となって生きられます。

 尚、オーラについて、補足的なことを“オーラの色と使命”と題して、ブログに解説してあります。参考にして下さい。

残像し色相環